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第二章 エリザベス女王の来航scene 5 パリからシェルブールへ ![]() 宿のテレビでは、エリザベス女王が北フランスに来航するというニュースが流れていた。英語字幕つきだったので、私にもおおよそは理解できた。 「目的ははっきりしませんが、あるいは外交関係の親密化が考えられているのでしょうか」などとコメントされていた。折しもEU拡大で揺れている時期だった。 船で来るが、上陸はしない模様ということだった。 テレビを横目に、髭に付いた赤ワインを手の甲で拭いながら、地図を眺めた。 ケルト文化に興味があったので、パリからブルターニュ半島に行こうと考えた。 (やめときなさいよ。あんなとこ、なにもないわよ) 声が聞こえた。 (なにもない鄙びたところが好きなんだけどね) 私は返した。 精神の屋根裏部屋に棲む者、すなわち「声」を、私はネズミと呼んだ。 有名なチャネラーが交信する者のように立派な霊訓を語るのではないが、たまに役に立つことを言ったりした。 ブルターニュはやめて、シェルブールに行くことにした。 ☆ 車窓を流れるフランスの風景に飽きると、窓の縁にミッキーマウスを脳内レンダリングして遊んだ。くるくる回したり、とんぼ返りを打たせてみたり、人差し指を突きあげたりと。 なんなら虚空にイーグルスやクィーンのライブ映像を浮かべて「視聴」することもできた。 イマジネーション。少し練習すれば造作もないことだし、それでヴィジョンを見る脳回路が太くなっていくだろうと考えていた。 列車の揺れる一回毎が、次々暇を作り出していた。なだらかな丘陵がいくつもいくつも過ぎていく。 他には、まとまった考え事をしたりした。例えばアルベール・カミュについて。 「シジフュスの神話」でカミュは、 「誰でも自分が神に等しい存在だと感じた決定的瞬間があるものだ」 と書いた。 初めて読んだときは ─── 誰でもなのか ─── と訝しんだものだった。 後になって、雨乞いができるようになってから、もう一度読み返した。「誰でも」というのは、この本を読むような者なら誰でも、ということだと解釈した。おそらく、そもそも一般的な読者は対象にしていない書物だ。 ところでシジフュスの神話は、前半のかなりの部分を費やして自殺について論考している。これはとりもなおさず、カミュ自身が自殺すべきか否かの隘路に立ち、懊悩した事を示しているだろう。 ─── ついに私は荒唐無稽のオペラになった と、鮮やかにランボーは己の発狂状態を表現したが、カミュはその「荒唐無稽 =absurde」をキーワードに論考を組んだ。 ランボーが魔術修行を行ったことをカミュが知らないわけもないが、それは自殺したくなるような幻覚の散乱を伴う。 それでも、ランボーのように意図的に精神の調律を狂わせ、火を盗み出そうとする者がいるのだ。 限定された意味でならノーブルといえなくもないが、まさにアブソード(ばかげたこと)だ。昨日までは地底にあると思っていた地獄が地上にせり上がってくるのだし、制御可能なものを地獄とは呼ばない。 もし文学に力があるとすれば、こうしたマイノリティ向けの作品が、それとも知られずに遠くまで届くところにある。 結局のところ経験しなければわからない事なのだし、それは必然的に少数者向けにならざるを得ないのだが、読もうとさえすれば、それは既に投函されているレターだ。 そしてパルナシアンを目指したランボーが「精神を通して我らは神に向かう」と書いたように、カミュもまた「神に比肩する者の如くに生きよ」と述べた。 ─── で、神は、地獄にしか顕現しないらしい。 scene 6 カーン カーンで降りた。 昔パソコン・ゲームでDデイを扱ったものをやったことがあって、地名を憶えていたノルマンディの一都市。その程度の興味だった。 一散にシェルブールを目指したわけではない。気儘な旅だ。 宿を確保し部屋で落ち着いた後、街に出ることにしたのだが、フロントがバーになっていたので軽くやることにした。 そのホテルも家族経営なのか、三十前の化粧っ気のない娘が留守番だった。黒髪を後ろで束ねていた。 その向こうには、窓ガラスから、やわらかな日差しが漏れ入っていた。 外の明るい往来を眺めながらビールを飲むのは気分がよかった。 カウンターの中にいた娘が、一歳程度のベビーをあやしているのが視界に入る。 遊び心が起きて、私はピルスナー・グラスを片手でつまみながら、赤ん坊の目の前あたりのカウンターの上に、ミッキーマウスをレンダリングしてやった。 (ミッキーだよー) ![]() ややあって、突然若い母親がそれに気づいたように見えた。 赤ん坊になにか耳打ちしてから、小さな頭に両手を添えて、その劇場に顔を向けさせた。 もしかしてあの女性には、私のイリュージョンが見えているのだろうか。 そんな共有は初めてだった。 まさか自分の中で楽しむ冗談としてやっていただけだったが、ひと際の気合を入れて劇を映写することになった。 ひとしきりのショーを見たのか、その女性は赤ん坊を私の方に正対させた。 すると赤ん坊は、両手で目をごしごしこすったあと、私に向って可愛く口を開け、満面で笑った。花が咲いたように見えた。 ─── そうか、まだ君には見えないんだね。 そういう意味のジェスチャーだと感じたが、あるいは違ったかもしれない。私はほっこりとした気分になって、支払いを済ませ外に出た。 道すがら、路上に張り出たカフェのテーブルでゆったりしている人々を見るのは愉しい。 ピンボールが置いてあるような古いゲーム・センターに入って一服した。やる気もしないような旧式のビデオゲーム台で、私は手巻きタバコを作って吸った。物陰から私を観察していただろう若者が近寄ってきて、無表情に手巻きタバコのペーパーをねだった。 「Give me paper」 何のことだかわからなかったが、差し出したその手がタバコのペーパーを意味していた。彼にやると、あとは嬉しそうに何人もねだりにきた。小規模な外交だったのかもしれない。手巻きタバコのパックに付属しているペーパーなど、普通は余る。 闇雲に歩いたが、割と沢山の寺院に出会った。中には、案内板にDデイで焼け残ったと記されたものもあった。そのモノクロームの瓦礫の写真はまだ記憶している。あの時は風がやけに強く吹いていたっけな。 私の旅行は、ただいい加減に歩き回るだけだった。どこへ行っても、それは同じだ。それら寺院も、名所ではあったのだろうが、今は名前を覚えていない。 ![]() 日が暮れてホテルに帰ると、バーカウンターでは主人と馴染み客だろう男達がダイスに興じていた。賽の目が出る度に、古仲間たち特有の笑い声が暖かく放射された。 私は一杯やりたかったので、離れてその光景を眺め佇んでいたが、邪魔をするのも悪いと思い、部屋に帰ることにした。 そんな手垢の付いた、ビールの匂いがするような人々の暮らしが好きだった。 その夜も、くだらない幻覚パーティが繰り広げられた。 腹の中で延々と「約束の女」がしゃべった。約束の女は、私の主たる妄想テーマで、日本にいた時からの馴染みだった。今では断定できるが、一時期のアニマの姿だ。いつも騙されてばかりいた。その時も、「私のところには来れない理由」をくどくどと語り、私は妙に納得させられてしまった。 (私にあなたの散らかった部屋を片付けろと言うの? それに、あなたのお母さんの面倒もみなくちゃならないなんて) その放送が終わると、狭く急な階段を上って足音が近づいてきて、ドアの前でピタリと止まった。幻覚がよくやる手口だが、いつもそれなりに怖い。 が、恐怖と同時に、慣れのせいか、もはや心のどこかで状況を楽しんでもいた。 口笛吹いた。 大量のドパミンがさらさらと無髄神経系を流れているだろう。それが私の元気の源泉だ。 夜の口笛は霊を呼ぶという。 ─── 悪魔が来るって? これ以上、部屋に入りきらないぜ。 翌朝ホテルを出る時に、六十がらみの主人が、寂しげな低い声で「ボン・ボヤージ」と言ってくれた。 小さなホテルではたまに、本当に心のこもった挨拶をされた。 ☆ Dデイ関連で、バイユーでも降りてみた。ユーレイルパスは、その日のうちなら途中下車有効だ。 どんどん歩いていると、墓地に出くわした。 (戦没者の墓標も多くあるんだろうな) 大きなモニュメントを過ぎた辺りで、突然なにかが降りてきて、胸の感情を膨らませた。涙が止めどなく流れた。 (憑依か?) 私に霊感はなかったが、同じように旅先で、亡くなった父の存在を強く感じたことはあった。 (それならば、おれを使って泣くがいい。感情を貸してやるよ) バイユーでは宿が見つからなかったので、その足で北西に向かう列車に乗った。 scene 7 シェルブール シェルブールでも、宿が確保できなかった。どこも渋い顔で断られた。 宿を探しながら港の方に歩いていくと、大変な人混みだった。しかしながら既に私は、そうした祝祭的雰囲気には慣れていた。 実際、それまでバーデンバーデンでもナンシーでも、お祭り騒ぎのようなパレードがあって、私はわけも分からずに列に加わって歩いたものだった。春祭りの季節だったのかもしれないが、それが私のシンクロニシティのひとつになっていた。 しかし、ここシェルブールでは海岸付近にロープが張られ、所々に警官が立っていた。腰に差した黒塗りのピストルが物々しい。対比的にその表情は厳しいものではなかった。 おそらくエリザベス女王来航のニュースだけで集まった群衆は、足幅づつしか前に進まない。私も何の人混みだか分らなかったが、列に従って歩いているとやがて、遠くの桟橋に豪華客船が停泊しているのが見えた。 (あれは、もしかしてエリザベス女王か?) 他には何もイベントらしきことはなかった。なるほどあのデカイ船の全影を見ようとするなら、湾を望むその辺りがベスト・ポジションだった。 港町シェルブールで、それ以外の船影がなかったのが不思議だったが、今思えば、警備上の都合だったかもしれない。 人の列に従って、船まで歩くことにした。 桟橋で行き交う人は皆、連れと嬉しげに話していた。 たとえば、天皇の行幸でも沿道が人で埋まるが、それを見てどうなるものでもない。それでも、話の種くらいにはなるだろう。 このままイギリスに渡ろうかと考えて切符売り場に行ったが、買い方がわからず取りやめた。第一、その船しかいなかったし、もし女王が乗船しているなら、私が同乗できるとも思えなかった。 別に、近くに行って黒塗りの鉄板を見たからといって船に変わりはなかったし、デッキからエリザベス女王が顔を出すサービスもなかった。 もう一度宿を当たろうと思い、街のほうへ歩いた。 途中、きれいな海岸公園があって、ピクニックでも楽しむように人々が座っていた。 そこで私も、気持ちよさそうな緑の芝生に腰を下ろし、一休みすることにした。海から風が吹いていた。 ドーバー海峡と薄いブルーの空が遙かに見えた。 ─── この海をランボーも渡ったか。1871年頃だっけ ─── 遥かに遠い時空の記憶、場所だけが捨てられたように残されていた。 ひょんなことに、歩道からワインボトルをぶら下げた男が寄ってきて、前に座った。 しきりに英語で「友達」とか「うまいよ」と言って、私に酒を勧めた。 ひとが口をつけたボトルを飲むのは嫌だった。それに、三十代後半の男の顔は、梅毒かなにかのように崩れていた。 男は、おれの酒が飲めねえのかといった表情をしたが、私は斜めを見ながら心の中で(自分の顔を考えろ)と返した。 視線や雰囲気で伝わったのか、男は諦めた。 そのうちに、男は胸ポケットから新聞の切り抜きを出して私に見せた。その男らしき写真、文字は読めない。 一度は何かで名を成したことのある人物なのだろう。面構えからすれば、格闘技かなにか。 かさぶたみたいなプライドで生きているのだろうか。 彼は片言の英語でなにか喋っていたが、聴き取れなかった。 道行く人を見やると、そんなやつ相手にするなよと言わんばかりの表情をして通り過ぎていった。 同様にあたりを見回した男が、暗い表情になって俯き、それきり黙ってしまった。 "O.K. Take care of you" (オーケー。体に気をつけて) 気まずくなったので、私は立ち上がりざまに彼の肩に手を置いて言った。そして振り向きもせずその場を去った。 その男の沈黙がとても重いものに感じられた。 誰だって皆、胸の内を振り返ると、過去には無数の四角錐の形をした記憶が敷き詰められている。 それは今現在の位置から眺める角度によって、暗く沈んだり、あるいはさまざまな色でキラキラと輝いて見えたりする。 出来事は個体として後ろに広がっているけれども、曜変する人生の時は照射する光を固定しない。今は辛くても、時がたてば、色を変えることもある。 結局、宿がなかったので、私はそのままパリに帰った。 第三章へ進む →→→ 【注】 パルナシアンは高踏派と和訳されているが、由来は文字通りパルナソスに住む者という意味である。パルナソス山は、その南嶺に神託をおこなうデルフォイを擁し、神の住むところとされる。 【引用】 "The Myth of Sisyphus" by ALBERT CAMUS "Every man has felt himself to be the equal of a god at certain moments." 歴史的には「シーシュポスの神話」と邦訳されたこともあるが、最近では「シジフォスの神話」という邦訳もあるようだ。私はフランス語の発音に近いシジフュスで表記した。 ※ (今になって事実関係をネットで調べてみると、この時期に「クィーン・メリー2」と命名された豪華客船が半年間の処女航海を行っていた。エリザベス女王自身が乗り込んでいたかどうかは、確認する資料がない。) |