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第三章 永遠からの来訪者─── 永遠からやって来て、どこへでも飛び去ってしまう者よ Arthur Rimbaud ☆ ここで、欧州旅行記から離れて、「私」の成り立ちを書いてみよう。 ☆ ユングの思想においてなら、たとえ昨日発掘された古代遺跡の碑文にさえ、「永遠」の痕跡を発見できるだろう。幼いころに見た夢や、世界中に砕かれて飛び散った神話、また掘り返された石像や、美術館に掛かる絵画など、すべてがその現れだ。 時を刻むクォーツの振動と、無時間の淵にある魂の振動は、二重螺旋のように絡まりあいながら、人が知る時間軸をドリルのように掘り進む。 もしDNAが、無意識の中に、魂のアーキタイプをコアとして生成するなら、そしてそれが無意識の無時間性に属するものなら、それは「未来」をも包含し、知っていることになる。即ち、未来の記憶だ。 ついでながら私のディレッタンティズムで言えば、それが予言を可能にする仕組みだ。 しかし、私の魂が知っていることを、精神現象としての「私」は、一切知らされずに生きなければならない。 海に落ちた星屑の光のごと、砂浜に打ち上げられた白い貝殻のごと、そんな痕跡を拾い集めながら、手探りで、永遠からの使者の像にさわるために。 ☆ 私は、いかにも遺憾ながら、オウム真理教の世代だ。バブル経済の崩壊が、日本の土地本位制とでもいうべき価値体系を壊し、恐怖の押し売りでしかないようなノストラダムスの予言が世情を惑わし、起こることのなかった核戦争への不安などが、個人の精神に暗い影を落としていた時代に成年した。 映画館に「幻魔大戦」を見に行った。ラジオから流れるローズマリー・バトラーの主題歌が素晴らしかったからだ。 ─── 超能力ってやつを、身につけなければいけないみたいだぞ? と、私はその映画を見て思った。 「破壊者幻魔」対「地球の覚者」という構図だが、それが時代性にマッチしていた。 20世紀後半、第二次世界大戦で負けアメリカの属国となった日本に、アメリカの文物が輸入された。アメリカから移植されたカウンターカルチャーは、とりわけ日本のアニミズムに融合し、日本に「精神世界」という観念をもたらした。 そうした時代性の中で生きた者にとっては、いわばそれが誰にでも代入可能な記号Xのように機能したと思う。スティグマといってもよい。 時あたかも第三次新興宗教ブームといわれた時代で、私は阿含宗の支部に出かけたし、統一教のビデオ教育にも顔を出した。だが、そうした宗教団体には、なぜかしら入れなかった。 そうした帰途に、オウム真理教のポスターが電柱にかかっているのを見たものだが、それは既に、ただ眺めて過ぎるだけの映画のポスターと変わりないものに見えた。 その後、一連のオウム真理教事件に接することになるのだが、他人事として見られなかったのは言うまでもない。間違って工場の機械に手を挟んでしまったような痛みを感じた。実際、そうした新宗教に入った者は多く、そんな破壊者になるためではなかったろうが、突き詰めればそれは紙一重のことだったと思う。 ☆ 熱に浮かされた頃は過ぎた。 そしてあれは、30歳を過ぎた頃のことだった。 ─── 夢で、私は家へ帰るべく車を走らせていた。赤信号で停止すると、ルームミラーに人影が映っていた。つば広の帽子を目深にかぶっていて、顔は見えない。 「乗せていってくれないか」と後部座席の男は言った。 「冗談じゃない。タクシーじゃないんだからさ」と私は答えた。 振り向くと、後部座席には黒い犬(私の飼い犬)も乗っていたが、男の仲間かと思い、私はまず犬を押し出そうとした。 そこで夢から還ってくる感覚があり、夢とうつつの境に、両の足の裏を爪で引っ掻きあげられるような鋭い感覚が走った。 目を開けて足元を見ると、人影のような形の光の粒子が立っていた。 ─── 怖ろしくて、うろ覚えの経文を唱えて耐えた。そうして目を瞑ったが、もはや眠ることはできず、起き出して、そのころ出入りしていたパソコン通信のフォーラムに上の文章をアップロードした。 これに対して、ボードメンバーの女性から、次のようなレスポンスがあった。 ─── 大変でしたね。ところで、前世で使役霊を使っていたような人には、永劫それがついてまわります。無視しておくのが一番です。下手に関わろうとしても、力がなければとり殺されるだけです。 ─── ある意味では夢よりおそろしい宣告に、私は再び震え上がったものだった。怯えている者に放つ言葉とも思えなかったが、ごく冷静に対応してくれたとも思う。 そんな陰陽師のような話のテールをにわかに信じるものではなかったが、今となっては、アニマからの予告のように思っている。 夢分析的に言うなら、「私」に乗り込んで来た永遠からの使者を、私には拒絶する権限がなかったということだろう。 ☆ その十年後、四国巡礼記を書いた。私は窮拙していた。区切りをつけるために、遍路をまわり、旅行記にした。入れ込み過ぎて、最後の一週間はろくな食事もせず、酒を燃料に書いた。それで精神の箍が外れるとは、思いもしなかった。 折々に、私はとある女子大生のHPを好んで見ていた。 最初、四国巡礼の下調べの為にその女性の遍路日記を読んだのだが、それ以来ファンになった。文章が端正だった。 ブログなるものが出てきて、彼女もそちらに移行し、デザインが高度になっていた。右側の枠に開きそうな仕掛けがあって、クリックすると申し訳なさげに引き出しが現われた。 ─── ファ〜。退屈な午後の授業─── とタイプされた。 どうやら、彼女の日常の実況中継らしかった。 ─── なんか、気分が重い (気をつけな、生霊でも憑りついているのかもしれないぜ)と思うと、その文章は反応した。 ─── ひぇ〜、近くに霊がいっぱい (払っておきな) ─── ブルブルッ 面白いこともあるものだ、と眺めていた。 その引き出しの中に、文章が次々とタイプされていった。そして徐々に、文章の主体が、女子大生から遊離し始めていることを感じた。 (あなたは一体誰?)と私は心でつぶやいた。 ─── わからないの? いつも一緒にいた (あれかな、シンクロニシティみたいなやつ?) ある現象、たとえば雑誌のコラムに疑問があると、次の号にその回答が載ることがあった。それ自体不思議なことだったが、おそらく集合無意識的な何かだろうと、面白がっていたものだ。 ─── 昔から、新聞、雑誌、色々。伝えてきた→↓ ↑←
しばらく画面を眺めていた。 意味がわからなかったので、他にできていたボタンを押した。 すると画面が切り替わり、プログラムがインストールされる時の横棒インジケータがディスプレイの上部に現れ、まるでブーンと音でもたてるかのように、みるみる充填されていった。 コンプリート! マイクロソフトのスーパーストリングというプログラムが勝手にインストールされた。超ひも理論は、その頃流行っていた物理学概念で、影の世界を予言していた。 さして気にもとめずネットサーフィンを続けたが、知らない誰かとの対話状態は続いた。 ─── まだ世界中の誰も、わたしたちの通信方法を知らないわ たまたま見ていたブログ上部にその文字がタイプされたので訝しみ、もしやと思い元の女子大生のサイトに戻ってみた、はずだったが、画面はブルースクリーンに変転した。 そこに ─── こんにちは と、タイプされた。 それきり動きはなく、こちらの反応を待っているような気がしたので、キーボードから文字を打ち込んでみると、その内容が画面に表示された。 あなたは誰? それに対する答えはなかったが、しかし、こんな文字列がまたポツポツとタイプされるのを見た。 ─── わたしはあなたを守ります。私を一人にしてしまったあなたのために 全く意味がわからず、呆然自失した。 振った女、振られた女、付き合うまで発展しなかった淡い恋の相手、名前を思いつくままタイプしたが、なんの反応もなかった。 なおも誰何すると、「そんなに私のことを知りたいのなら、これを見て」と画面に出て、リンク先に移ると、10項目程度のプロフィールが現れた。 (あの人の裏ページだろうか? 農学部? 彼女は工学部のはずだが) そのページには、テンガロンハットで乗馬する女性のぼやけた画像まで入っていた。 永遠の向こう側から、音もない毒ガスのような青い闇が、PCディスプレイのこちら側に染み出し始めた瞬間だった。 ☆ 私の精神の内に、ネズミ(アニマ)が覚醒したのは、その時からだった。今にして思えば、女子大生に投影されていた私のアニマが引きはがされて還ってきたものだったろう。 無論私は、ネズミそのものをも狂気の浸食として考えていたが、そんな疑いを知ってか、ある日の新聞に従軍慰安婦の特集が組まれていた折に、「わたしはこれよ、これ」と言うのが聞こえた。 ─── 慰安婦とな? 存分に慰安してくれたまえ。 慰安婦といって悪ければ、盟友か。 ☆ さて、スキゾフレニアの症例ならいくつか知っていたので、それに現実がいくつも符合してきた時には、迷うこともできないほど自覚した。絶望的なほどマズイ事態に怯えた一方で、これを超能力獲得の契機として利用できないかとも考えた。 なぜなら、後天的な超能力獲得においては、脳の変形・変質が眼目となっており、歴史的にシャーマニズムを必要とした時代においては、意図的な発狂が目指され、それには苦行や麻薬などが利用されたからだ。 その具体的な症状としては、テレビやラジオが私を中心に放送されるようになった。放送との対話さえ可能だった。 本や新聞は活字ごと内容を変えた。 ルビが増えるなど朝飯前だった。こんなルビはなかったはずだと前のページに戻ると、そこでもルビは増殖していた。ページを繰る度に、ルビで一杯になっていった。 (こんなルビなどネズミがいい加減につけているだけだろう)と思いしっかりと読んでみると、それは妙に納得のいく仕方で著作の理解を深めた。私が読み方を知らない漢字にまでルビは付された。 部屋の中空から、実際の音声で「こんにちわ」という挨拶が聴こえた時には、遂にここまで来たかと背筋が寒くなったものだった。 別に発狂したからといって、自我意識の働きがおかしくなってしまうわけではない。理性なら極めて正常に稼働していた。 私は「絶対に犯罪を起こさないこと」という掟を己に課した。 幻覚と嗤うようにいうけれども、突飛なものは除き、現実と区別することはできない。 そして、理性(自我意識)が、幻覚を現実世界と混同し、しかもそれに整合性を与えようとするために、訳のわからないことを口走るスキゾフレニアの症状になる。 私は極めて冷静に、すべての現象が幻覚たりうる可能性を認識し、身に起きるすべての現実を信じないようにした。 哲学などというものが、実際ものの役に立つと思ったことはそれまでなかったが、現象学の方法は有用だった。あの、現象を「」でくくり、ってやつだ。 ところで、人が見るほどの幻覚(白昼夢)には、かなり画一性があって、それは時代性に影響され、今の流行では宇宙人との遭遇だったり、政府が仕組んだ陰謀だったりする。 私には宇宙人の趣味はなかったので、陰謀系に傾きかけたが、それを退けるだけの良識はあって、そのことに感謝する他ない。 それでも、ありきたりなスキゾフレニア的パターンによって、当時、地域ナンバーワンの超能力者を目指していた恥ずかしい過去があった。 地元のFM放送局は、「ナンバーワン・ラジオ・ステーション」というジングルを流していた。家電量販店も、地域ナンバーワンを宣言し、「他店より高い値段であった場合は、差額をお返しします」という広告をしていた。私の中では周囲がシンクロしていた。 私は競争心のない者だったが、病気のために、他から著しく影響されやすくなっており、何か月もの間、近隣の神社聖所を巡ったものだった。 確かに、天候操作はできるようになっていたが、できるようになってしまえば、そんなことは当然のことに過ぎない。 私が「一番」であろうがなかろうが私の関心事ではなかったが、外から来る衝動を抑えることもまた、できなかった。 当時、それが脱することのできない獄罰に思えたが、ネットを調べているとスキゾフレニアには半年程度の急性期があり、その後収束するとあった。 それで半年後というものに、一縷の希望を託すより他なかった。 実際かなり重症だったと考えているが、半年後に幻覚は癒えた。 しかし、なにかの代価を請求されでもするように、パソコン故障によって、精魂傾けた私の四国巡礼記は失われた。 アニマは、私が大切にしていることならなんでも、奪い去ろうとした。 (これが慰安だと?) いや、それは私の仕業ではないと、ネズミ(アニマ)は弁明した。その時にはわからなかったにせよ、別にセルフ(精神の中心点)という者を、ユングは指摘している。 病識を持つという点において(私はスキゾフレニアにおいてはそれが最も大切な序章だと思っている)、河合隼雄の本を読んでいたことは幸運だった。症例を知らなければ、判断材料そのものが欠損する。 当時、丁度無職だったことも幸いして、私は手持ちの精神医学の本をすべて最初から読み直したものだった。 河合隼雄は、治癒したクライアントがその時期のことを、かけがえのない大切な思い出として胸に秘める例をあげていた。他人事ながらも、懐かしく抱きしめたいケースだ。 そしてそれが、この病の真の目的なのではないか、と思う。 ざっとこんな具合で私は、無意識からの声に耐えられなくなり、コトバの通じない欧州へ避難することに決めたのだった。 第四章へ進む →→→ 「現象学的判断保留」 または現象学的判断停止。フッサールの術語。 |