第十四章 明るいパリスポリス


scene 29 帰国前

 四月から五月にかけて、段々アーミーを見ることが多くなった。
 アーミーといってもベレー帽だったので、特殊部隊だったかもしれない。ブラック・ベレーやレッド・ベレーを見た。
 最初は駅警固のみだったが、パリでは市中でも見かけるようになった。テロ警戒か、もしくは国際会議でもあるのかもしれないと考えていた。
 警察との接触も増えた。街を歩いているだけで尋問された。
 なにか用のある時なら堪らないが、物見遊山で歩いているだけのときにはイベントリーな気分だ。
 肩章によって、ナショナル・ポリスであるとか、パリ市警であるとか、区別がついた。
 パリでは両方に職務質問されたが、職務範囲が異なるためか、テクニックや雰囲気が違う。フランス国家警察はシャープだった。しかし、ドイツでもそうだったが、地方警察は割りにフレンドリーだ。会話中、威圧しない。

 帰国が近づいており、消化試合のような日々になっていた。
 (あ〜あ、ひまだなァ)
 と思っていたら、パリ市警が来た。三人だ。
 (わかるだろ? 職務質問だよ)と、雰囲気で言っている。
 彼らは、私のパスポートを見て、署に照会した。
 それで身元は判明するのではないかと思ったが、取調べは長引いた。
 ほとんど緊張感がなく、こちらを警戒していないと察しられたので、意外ではあった。
 連絡を取っていた若い警官の眉が八の字に曲がり、口が半開きになった。よくない兆候だった。その表情の背景にあるパリの街路樹と、さらに遠く青い空が私の目に入った。

 「これ、なに?」

 私のユーゴスラビア軍払い下げデイ・パックを捌きながら、若いポリスが訊いた。
 「バッジだよ」
 日本国天皇下賜品のバッジ、黒いプラ・ケース入りである。
 「よかったらあげようか」
 「いや。貰えないね」
 「これはなに?」
 「胃薬」
 「胃薬?」
 貰い物の黒い胃薬を、私は海外旅行では手放さない。よく効くのだ。
 ところが、後で知ったことだが、これはまるで大麻樹脂のレプリカのような造形物だった。
 「よかったらなめてみるかい? 苦いよ」
 「遠慮する」

 そこで、お迎えが来た。
 手錠をかけられ、10人乗りくらいの対面式護送車両に乗った。女性も含め、人が大勢乗っていた。
 今度の手錠はハードメタルで、非常に硬そうだった。シリンダー錠とバネ式の錠がついており、素人では到底外せないだろうと推測できた。
 言ってはなんだが、ドレスデン警察のものより上等な品だと思った。流石はパリだ。
 けれども、やはり手錠を掛けられるのは気持ちの良いものではない。
 ところが車内を見回すと、奇妙に明るい雰囲気だった。

 (なんだろうこの人たちは。犯罪嫌疑者護送中ではないのか。それとも、職務的な移動で乗り合わせた人たちもいるのだろうか)

 それにしては、直視はしないものの、目の端でチラチラこちらを観察しているのが見て取れた。婦警などはウキウキした顔をしていたので、それはないだろうと思い、傷ついたふりをして俯いてやった。

 (ただの旅行者なのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ)

 面白いことに、美人の婦警さんが、しおれた顔で俯いた。すこしだけ溜飲が下がった。

 到着したのは、陽光が窓一杯に差し込む、やけに明るい警察署内だった。
 私の嫌疑は、麻薬所持だったろうか。胃薬の件では、日本の税関でも一度引っ掛かったことがあった。
 しかし、職務質問では胃薬だと言ってあるし、相手も訓練は受けていようから、わかるはずなのだ。ただ、発生した嫌疑は解消しなければならないというのが、警察の習性なのだろう。
 「ここに座れ」
 黒いプラカバーのベンチの下にクロームメッキの鉄棒があり、それに手錠を連結された。
 先客が二人いた。
 (やはり犯罪者は怖いな、何をしでかしたんだろう)と思いながらお仲間を眺めると、なんにもやってねえよ、といわんばかりの動作と表情をした。

 言葉が話せないと、テレパシー(非言語コミュニケーション能力)が鋭敏になるのは確かだと思う。仕草や表情、目つき、態度、これらのことから読み取れることは多い。

 他分署から、恐らく麻薬専門の係官が呼ばれ、「彼が検査する」と言われた。犬並みの嗅覚を持っていることだろう。胃薬の臭いを存分に嗅いでくれ給え、と思うしかなかった。
 日本の税関で捕まった時には、検査官が出てきて臭いを嗅ぎ、ニヤリと笑って「これは違うね」で解放された。

 それで、直ぐに済むのかと思っていたのだが、存外待たされたので、絵を描くことにした。
 左手に手錠が掛けられてたので、右手は自由だった。
 デイ・パックの中には、水彩画セットを携行していた。
 私は署内をスケッチし始めた。
 中年過ぎの恰幅のいい警官が、「いいぞ」といわんばかりに大笑いしながら私の前を通り過ぎて行った。
 フランス人は内向的だと聞いたことがあるが、別にラテン系のユーモアを持ち合わせているようだ。
 残念、でもないのかもしれないが、スケッチが完成しないうちに、私の嫌疑は晴れた。

 署を出ようとしたとき、若い警官が来て私の前に立った。
 「アー、君さ、国に帰って、恋人(リトル・ガール)を見つけなよ。な、わかるだろ」
 はにかみながら、しんみりとカタコトの英語で言った後、笑顔を作った。
 そもそも四十男をつかまえて言うようなセリフではないはずだが、言い当てられ過ぎていた。
 返す言葉もなく、茫然とうつむいて、外に出た。



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