4th World




第十二章 フランクフルト・オン・ザ・ロード


<scene 21 フランクフルト>







 "Special person from Japan"

 フランクフルト空港の長い通路で、吹き抜けの2階から、ブロンドの長いカーリーヘアの女性が顔を覗かせて言った。
 私の旅を象徴する一言となったわけだが、幻聴か、もしくはその女性自体が幻覚だったと今では考えている。
 私の欧州旅行はここから始まった。旅では、いつもビートルズのマジカル・ミステリー・ツアーが脳内で流れていた。

 通りの向こうから歩いてきた人間が、すれ違いざまに何か言っていくことも珍しくなかったが、全て幻聴として処理した。
 "You're lucky!" (あなたツイてるよ!)
 "Lullaby" (先生)
 面と向かって言われることでなければ、無視したところで生活に影響はない。
 (フザけるな)
 と私は感じていた。とりわけ、人格バーストを助長するような幻覚には注意していた。それが、処刑者セルフの放つ毒矢だと知っていた。
 あるいはセルフは、真面目に言っていたのかもしれない。が、「役者殺すにゃ刃物はいらぬ、ものの三度も褒めりゃいい」の譬えの通りだ。新興宗教の教祖に祭り上げられた者が、周囲のかしずく様に人格バーストを起こし、使い物にならなくなる例も少なくないという。

 幻視・幻聴は、覚醒状態の時に、夢の無意識が混入することで起こる。
 白昼夢がスポットで生活の中に配信されるから、ありもしない言葉が聴こえる。
 いずれにせよ、私が鉄のメンタルを持っていたということはない。その時々に、怯え、慄き、絶望的な気分になったりした。
 今では、そうした現象はいずれ去るということを知っている。それもいちいちを幻覚として処理できたからであって、もし現象に絡め捕られてしまうなら、その限りではなかったろう。

 余談だが、ヘルマン・ヘッセはある時期ユング派の治療を受けていた。
 その後、彼自身をモデルにしたと思われる「荒野の狼」を世に問うている。
 主人公は狂人だが、構造上は主人公が書いたのではないとする仕掛けが施されている。
 そして、にわかには受け入れがたいことだが、人間精神は無数の人格を内包していると説く。私とて三つや四つなら考えぬでもないが、それが多数である必要はあるのか?
 ひとつの可能性としては、人格は交代すると考えることができる。副人格も、時には主人格でさえ。もしそうなら、予備が必要だ。
 そして人間は自由だ。そう思えばそうなる。

 話が逸れた。私の欧州旅行はフランスがメインだったが、最初はドイツのフランクフルトから入った。
 空港では、英語の案内表記がなかったので、相当困った。
 元々言葉のわからない場所に行きたいというのが希望だったが、どこへ行けばいいのか全くわからないのも困りものだった。
 トイレさえ容易にはわからなかった。


<scene 22 錠のあかないホテルの部屋>


 それでも何とか、予約してあった市街のホテルまでたどり着いた。
 今思えばおかしなことだが、まず最初、部屋に入る時にフロントマンが一緒に来てドアを開けてくれた。
 安い割には広くていい部屋だった。
 しかし、街を散策して帰り、自分で錠を開けようとしても、どうしても開かなかったので、フロントマンを呼びに行った。

 "You'll never open that door" (アンタにゃ開けれやしないさ)

 通路脇のイスに座っていた若い男が言った。壁際には、単座イスが沢山積んであった。
 バックパッカーが泊まるような安宿には、暇を持て余したような若者が少なくない。
 廊下を見回しても他に誰もいなかったが、彼が私に目を合わせないので無視した。
 ところで、呼ばれてやってきたフロントマンは、再度、開錠に手間取った。
 「注意深くやってください。コツが要ります」
 自らに言っているようだった。

 その後、夕食に出て帰った時も開錠できず、私は頭に来てそこには泊まらないことにした。錠に不具合があるのに、放置しているのだ。おそらくキーが長年の使用ですり減っており、シリンダーと合わなくなっている。
 この後もう一度飲みに出たかったので、遅くなってフロントがいなくなってしまった場合、野宿になってしまう。

 「もうここはキャンセルするので、部屋のドアを開けて欲しい」
 部屋に置いてある荷物を取り出さねばならなかった。
 老年に差し掛かったフロントマンは、一言もなくレセプションカウンターから出ると、黙って私の先に立った。
 降りてきたエスカレーターの狭いカーゴの中に単座イスが並べて二脚置いてあり、入ろうとしたフロントマンがスネを打った。
 "Ops!" (イテッ!)
 私は少し溜飲を下げた。
 先ほどまでヒマそうに座っていた青年は、廊下から消えていた。


<scene 23 ホテル・パリ>


 泣きたい気持ちを抑えて夜の街をうろつき、やっと見つけた「ホテル・パリ」に入った。
 「部屋はありますか?」
 「ありますよ」
 インド人風の男はこちらを真っすぐに見て、鷹揚に答えた。
 早く手続きを済ませて部屋に行きたかったが、丁度フロントに電話が掛かってきた。

 「はい、来ています。はい。そうですが。・・・われわれはホテルです。・・・いやいや、そういうのじゃなくて、バックパッカーが泊まるような安宿です。あなた、どなたですか? ・・・はい。・・・まあ、旅行者と思いますがね。・・・アジア人に見えます。・・・どういうって、日本か韓国か、そういう国・・・」

 インド人風の男は、私をちらちら見ながら電話に対応した。英語で話していたので、電話を掛けてきている人間も英語話者なのだろう。かなり長い時間、私は待たされた。

 「オーケー」

 受話器を置くと、インド人風の男は言った。
 誰かの許可が下りたらしかった。
 その後もずっと、私がホテルにフラリと入り部屋を取ろうとすると、フロントに電話が掛かってくることがあった。
 スペインで鉄道爆破テロが起きており、フランスの主要駅では機関銃を持った兵士が警戒していた。
 あるいは私は、テロリストとしてマークされていたのかもしれない。
 私は日本人のような気がするが、かなりの程度までアフガニスタン人に見えることは自覚している。
 ただ、持っている雰囲気は誤魔化せないらしく、大抵は日本人と見破られていたようだった。


<scene 24 バーデンバーデン>


 その後バーデンバーデンに行った。
 日本での疲れを温泉で癒したかった。子供の鼓笛隊がストリートでヘタなマーチを演奏し、パレードになったので、私も冗談めかしてその後ろに続いたことを覚えている。
 ただ、宿代が高すぎたので、すぐにフランスに渡った。

 フランスの宿は、質を問わなければ12ユーロ、25も出せば結構よいホテルだった。それで、30以上になると高いと感じたものだった。
 バーデンバーデンはシングル260ユーロだった。保養地価格だろうと思ったが、他も決して安くはなかった。
 他の街で宿を探していた時、ホテルの大きな垂れ幕に200から300ユーロと誇らしげな宣伝があり、諦めた。
 あるいは、見本市などの悪い時期に当たっていたのかもしれない。

 だがフランスを旅していても、ドイツに未練があった。そもそも私はドイツに憧れていた。もっとドイツを旅したかったはずなのだ。
 旅の期間も終わりに近づいた頃、ある日勇躍決意して、パリからドレスデンに向かった。(その物語はまた別に。)
 そこで警察に捕まり、私はまたフランクフルトの「ホテル・パリ」に舞い戻ることになった。


<scene 25 再びのホテル・パリ>


 (このホテルは、どうしてパリなんだろうか。見ればフランス国旗さえ看板に描かれている。安宿というものは、フランス製のものなのだろうか)

 「ハーイ、また会いましたね。覚えていますよ」

 例のインド風男に人懐こい笑顔で挨拶された。もう三週間も経っていたから、少し驚いた。

 (よく覚えているものだな。それとも自分は余程風変りなのだろうか)

 そしてまた、例のごとく電話が掛かってきた。そんな仕草をしなければ別件だと思うものを、男は私をチラチラ見ながら話した。

 「ああ、来てますよ。・・・さあね、わかりません。・・・訊いてみますか?・・・それはいいんですか・・・」

 私はまたも長い間チェックインを保留された。
 今、ネットで調べてみると、欧州にはユーロポールという情報活動専門の警察組織があるようだ。果たして電話の相手がそういう者だったのかどうかは知らない。
 もっとも、パリの街中でもCIA局員募集の看板を見かけたし、主要都市では世界中の情報機関が跳梁跋扈しているだろうことも想像に難くない。


<scene 26 フランクフルト・オン・ザ・ロード>


 フランクフルトの街は結構面白く、ストレッチ・リムジンがさして広くもない道路を全部ふさいでUターンしようとしている壮観な光景を目撃した。アブソード(荒唐無稽)だ。
 ヒッピー風の男に、タオルに包んだ注射器をジャラッと見せられたこともあった。冷たく「ノー」と言うと、その男は物凄い勢いで走り去った。
 親しげに話しかけてくる男もいた。やたらとこちらの体に触る。
 「日本人かい?」
 「・・・ああ、そうだが」
 中国人と答えたかったところだが、日本人かと問われて嘘まではつけなかった。
 「おれ日本に住んでたんだよ。OSAKA。いやあ、懐かしいねえ。TAKOYAKI SUKIYAKI 大阪で逢ってないか」
 確かに、男の顔は、三か月ほど前、大阪でさ迷っていた時に見たことがないでもなかった。
 その時にも、上機嫌なタカリのように、夜の街を日本人数名と連れ立って歩いていた。
 しかし、果たして人間という者は、こんな所で再会するものなのだろうか。
 「一緒に飲みに行こうぜ、パル。いい店知ってるんだ」
 「・・・」
 「なあ、フレンド、飲みに行こうぜ」
 「いいぜ、おれはこれからスーパーマーケットへ、ビールとツマミを買いに行くところだ。そこらの道端で店開きしようぜ」
 男は親しげな表情を一瞬で消して、クルリと背を向けて去っていった。

 スーパーでパンと缶ビールを買い求め、腹が減っても適当な場所がない時は、路上を食卓にすることもあった。
 住宅街でこれをやったところポリスが来たが、笑って「あまり飲みすぎるなよ」程度で解放された。
 神経質そうなお婆さんが、窓からこちらを見て顔をゆがめていたから、迷惑だったのかもしれない。確かにそこの庭には座り心地のよさそうな芝生があって、塀柵に指をかけはしたが、乗り越えて侵入したわけではなかったのに。
 先ほどの警察官かどうか、通りの向こうからバイクでやってきて、ナチ式敬礼をしたまま通り過ぎていった。サングラスで目は見えなかったが、ジョン・ベルーシ風の間抜けなユーモアに見えた。日本でもそうだが、末端の警官にはいい人が多い。

<scene 27 コイン・ショップ>

 屋台でグラスから飲むドイツ・ビールは、流石にうまかった。その日、空の青は薄かったが、上天気だった。
 (これ、これ)
 ドレスデンでは酷い目に遭っていたので、生き返るような気分になった。
 散歩中、ふらふらとコイン・ショップに入った。
 (ワオ! 10000マルク硬貨だ) これは大恐慌時代のものだろうか。
 ドイツ語などはできないが、こんな時に嘘でもテレパシー通信できるつもりになれるのが似非ソーサラーの強みだ。まあ、こんなことも幻聴の類いだが・・・ある時期から私はそれを逆手に取って遊ぶようになっていた。

 (そんなものに興味があるのか?)
 (イェー。ちょっと、面白い額面だろ。大恐慌時代のものか?)
 (まあな、そんなところだ)
 (これ、買おうかな)
 (やめておけ。われわれの恥の歴史だ)
 (辛かったんだな)
 (・・・)

 買うときには大恐慌時代の遺物かと考えたが、1923年のものだから、ベルサイユ体制以降のものだ。旅行後、資料を調べると、ハイパーインフレのため、この年11月に新通貨レンテンマルクに移行、パンの値段は7月に2010億マルクを記録したとある。あるいは一万マルク硬貨など小銭だったのかもしれない。
 結局ドイツは、第一次世界大戦後、ベルサイユ体制による巨額の賠償金に苦しみ、それが再びの世界大戦を招来することになった。私は10000マルクという額面が面白くて買ったのだが、それを外国人に売った店主は、どう感じたものだったろうか。
 ちなみに、ヘッセが「荒野の狼」を上梓したのは1927年である。



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【精神の多人格説】

自説だが、人間の精神構造を考える上で、私は多人格説をとっている。

まず多重人格症を基礎に考える。
これは何らかの精神的ショックにより、自我意識が精神の主座から無意識の側へ退行するために起きるのではないかと推測する。そのため、無意識の予備庫から、次々とキャラクターが現われて、主操縦席に座ることになるのではないか。
そう考えると、理論的に多重人格症を説明することが可能になる。
関連して、廃人と呼ばれる状態は、自我意識が表層意識から完全撤退して無意識側に逃げ込んだものと説明できる。人生を継続するエネルギーが途絶して、身体性を放棄した状態だ。多重人格症も、ややこれに近い逃避になるだろう。

話しがそれたが、多重人格症は、精神が傷つけられたために、精神構造が露呈することにより起きるのだと想像する。皮膚を傷つければ、出血し肉が見え、それが深い傷なら骨までも見えるだろう。精神も同様だと考える。

それならば、論の帰結として、その精神構造は、病者ばかりでなく、健康な者にも当てはめられることになる。
しかし、それにしてもなぜ人間は、そのような精神構造を持たねばならないのだろうか。これについて早急な回答は避けるべきだが、本文中で触れた自我意識の成長のためというのも一説だろう。あるいは、自我意識の性格タイプが変化した方が、環境に適応しやすいと、個を超えたDNA的な継続意思によりデザインされたのかもしれない。

まあ、生きていて人格の成長くらいないとさ、喜びとか満足ってないよね。そんな楽しみくらい与えてやらないと、人間ってすぐ死んじゃいたいヘタレだからさ。

また、中長期的な人格の変容ばかりでなく、瞬間的なものについても、多人格説は援用できる。例えば、酒を飲むと人格がかわる。運転すると性格がかわるなどだ。
また、戦争ヒーローのような、普段は大人しい者が戦争になると人がかわったように勇敢になるケース。この場合は集団的な利益があるので、システム的な有利として採用されることが理に適うだろう。

ヘッセの「荒野の狼」を読んでいて膝を打って喜んだのは、この多人格説が採用されていたからだった。
われわれは古い友人を突然に、書物のなかで発見する。

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