第十一章 昭和時代



アナザーサイド オブ ストーリー





 まだ若かった当時、ランボーを引用したCМがテレビで流れていた。それがやけに格好よく見え、私はなんとなく堀口大学のランボー翻訳詩集を買った。
 意味もわからないまま、勤めていた工場の休み時間に、薄暗い倉庫のなかで読んだ。

 そんなことが災いしてか、工場は辞めて、北海道に渡った。
 どれも仕事は長続きしなかったが、粗悪な服を閉店セールなどと言い募る行商に加わったことがあった。
 そこで、こんなことを言われた。
 「あー、それはひどいね。君はヨガをやっていると言っていたね。しかし、そういうことは、ヨガをやる人にはあることだよ。なにね、知り合いにヨガをやる人がいるから、知っているんだ」
 それで救われた。
 その時私は、勤務中に気分が悪くなり、同僚に家まで送ってもらうという失態を演じていた。
 突然、鼻水や涙がとまらなくなり、涎まで出た。筋肉が硬直し、立っているのも億劫になり椅子に座ったが、それさえできなくなり床に寝転がったのだった。
 より正確に言えば、私はその時ヨガではなく、気功の小周天を練習していたのだが、本質的には変わりのないことだった。

 それきり私は、なにかの修行などということはあきらめた。
 そのころ流行っていた超能力者を目指したところで、生きていけないようなことまでするつもりはなかった。

 いかにも、昭和時代に幕を引いたバブル崩壊に相応しいエピソードだ。カネではない何かが、果実が搾られるように滴り落ちて、なんとも無様だ。

                ☆

 この世で私は、農家の長男として生まれた。北海道から帰ったあと、夢でも見るように農業に従事した。
 今では口にするのもばかばかしいが、跡取り息子という特権的立場を与えられていた。そうした習俗も、私の世代が最後だっただろう。私の少年時代には、まだ若衆宿という風習さえ残っていたが、これも私の世代で霧消していた。

 父親からは、「心配するな。縁の下のホコリまでお前のものだぞ」と言われて育った。それが昔のコト、だった。別に何かを心配していたわけではなかったが、そう言われてその気になっていた。
 父は、私が別荘を立てるべき土地も用意してくれ、嫁に出た姉がもしかしたら住むことになるかもしれない土地まで用意していた。
 ところが私の母親は、そんなことには委細構わず、父が亡くなると家族をいい加減に騙して自分で相続した。
 そのくせ、私には「お前が跡取りだから」と、地域社会で果たすべき責務は負わせたのだった。
 例えば地域の消防団は、長男のみが参加すればよく、次男は役務を免れていた。
 親戚の葬儀も、惣領息子が行った。田舎の葬儀は、お参りするだけではすまされず、運営のお手伝いも含まれている。

 女性もそうした習俗と無縁ではなかった。いやそれどころか、男性よりはるかに辛い役割を担わされていた。

 当時、テレビを見ていて「農家の主婦百人が毎年死亡」という痛ましい内容の番組に出くわした。農薬の誤吸入と説明されていたが、その表現が甚だしい間違いでないにせよ、私にはソフィスティケートされたものに感じられた。
 (違うだろ? 農薬なんか散布するだけで吸入するだろ)
 たとえば噴霧なら、突然の風向きや風量変化でまともに吸い込む。
 実際、農業をやって農薬も使わなければならなかった私は、それがどんなに健康被害のあるものかわかっていた。残留農薬だって当然あるし、こんな農業はウソ臭く思え、結局は離農した。
 しかし、多くもない農業人口のうち年に百人という犠牲者数には、瞑目せざるをえない。三ちゃん農業といわれ、農家の大黒柱にされてしまった女性の昭和哀史の一幕だろう。

 新聞にはよくこんな投書をみかけた。
 「私は長男の嫁です。盆正月には義弟一家が里帰りしますが、おもてなしは私の役目です。義弟の嫁はお相伴にあずかるだけなのに。不公平です。やりきれません」
 そればかりか、ゆくゆくは義理の父母の介護まで看させられるのだ。
 当然、長男という者には嫁が来にくい風潮となっていった。
 そして、義弟が法定相続権を主張して困ります、という相談が新聞に載るようになってから、伝統的な家制度は崩壊した。最早、誰かがそんなものを守らねばならないのか、理由の一切合財が立ち消えていた。

 折しも、それはオウム真理教が社会崩壊を目指したのと期を同じくしていた。
 「破壊するもの」が現われる時、時代の対照エネルギーとしてか、人の感情を遷す容器としてか、社会全体のシャドウが怪獣のように荒れ狂うものかもしれない。

 父は生前よくこういったものだった。
 「いいか、タワケというのはな、子供に田を分けるという意味なんだ。代々相続するごとにそんなことをしてみろ。家など続かない」
 昭和時代までは、DNAを残すことが家制度の責務と考えられていただろう。
 だが、戦争でアメリカに負けた後に流入した思潮により、個人主義が優先されるようになった。
 生来利己的だった母がそれを採用したとして、どうこう言うつもりはなかった。
 しかし、後に相続を独り占めしたことが露見し、それなら遺産を私に相続させる遺言を書いてほしいという申し出が断られた時に、跡取り息子という私の人生に課せられていた役割(ペルソナ)が、崩壊した。

 ペルソナとは仮面のことで、わかりやすく言えば、人間関係において個人が果たす役目のことだ。もう少し言えば、おのれの内面ではなく、生きていくよすがとしての"表面"のことである。
 もし仮面が金づちで割られるようなことがあったら?
 たとえば妻が夫に浮気されたら、妻のペルソナは破壊され、そのため非常なショックを受け、うつ病に沈むことさえあるという。軽く考えていいことでは決してない。
 言わせてもらえば、私のペルソナが叩き割られた衝撃も、自覚的にはそれほどわからなかったが、私の魂はきっちり計量していたはずだ。

                ☆

 ところで、審判者としてのセルフ(精神全体の統合原理)という者がある。心がねじれた時には、ひとを奈落に落としてでも、それを解消しようとする。
 たとえば学校長のような社会的地位も名誉もある人が、万引きをする事件が時に報道される。
 なにが悲しくて、とは思うのだが、無用の想像をしてみると、生徒に垂れる訓示が校長というペルソナ(仮面)によるもので、本心では信じていないケースでは心がねじれるだろう。
 そうした万引きは「魔が差した」と述懐されることが多いが、まさにその時間は無意識の深淵から立ち昇ってくる無時間性の霧に包まれたものではないのか。
 そしてそれは「校長という仮面がなくなったら、あなたはどうするの?」というセルフからの残酷な問い掛けに見える。
 その罰は重すぎないか、と思うのだが、セルフは北極の氷山のように峻厳で、無表情の横顔で刑を執行する。

 刑が精神病である場合、私に罪などないはずだ、と言ってみたところで、問われているのは人間社会の法ではない。よじれた紐が元に戻ろうとしているだけのこと。ただ、それだけのことなのだろう。それがシャドウ(無意識に抑圧された者)の役割なのだから。
 そうしてみると、やはりセルフというのは、神的イメージなのだろう。神は死んだと言われて久しいが、そんなのは前世紀のことで、今世紀には「世界の再魔術化」の動きが起こっている。私なんぞは差し詰めユング教徒だが、神的イメージがなまなかに払しょくされるものでない以上は、こっそり神社詣ででもするよ。

                ☆

けれども、私たちをおとなしくさせる女吸血鬼は、こんなふうに命令するのだ。私たちは彼女に残してもらったもので楽しくやるがいい、さもなければ、もっと滑稽なものになってくれるがいい、と。

ランボオ   イリュミナシオン  「不安」


                ☆

いくつかの精神病症例

 ところで、日本にいた頃、憑依現象に出くわしたことがあった。
 近場の駅をほっつき歩いていて、付設されていたショッピングセンターの閉店時刻が気になっていた。
 その時もはや自我は、テレビやなにかに吹き込まれた課題を遂行するために動いていた。
 扉に書いてあるはずだ、と思いふたつあるドアを行ったり来たりしていた。あるいは、全面ガラス張りの壁面に書いてある可能性もあり、注意は怠らなかった。
 不意に、歩いている動線が捻じ曲げられ、私の体はガラスの壁面に押し付けられた。動けない。金縛りというのではなく、強い力で押し付けられて、私は自由を失っていた。人通りはなかったが、他人からは干上がったカエルのように見えたことだろう。
 しばらくその姿勢で狼狽していたが、他に仕方もなく、視線を下にずらした。そこには、広告チラシが張ってあり、営業時間が明記されていた。
 (わかったよ。21時までなんだな)
 そう理解すると、一気に脱力し、身体に自由が戻った。
 (アニマか?)
 要領を得ない自我の行動に業を煮やし、アニマが助け舟を出したのだと思った。

 これを憑依といってしまえば簡単にすむが、できるだけ既知の科学的根拠をもって説明したいと考えている。
 催眠術だ。これを使えば自我など他者によって簡単に飛ばせてしまえる。肉体の操作も可能だ。
 こうなると、もはやセルフがつくる幻覚どころの騒ぎではなくなる。完全に、他者に支配される「私」というものができあがる。
 場合によっては、最も危険な状態だ。
 セルフやアニマは、自分の中の他者なので、それが催眠施術者となって、「私」をも支配できる。
 これが憑霊現象に与える説明だ。

               ☆

 春、風の強い夜に、閉めた雨戸を叩く者があった。私は寝ようとしていたところだった。
 アニマの通信方法は、スキゾフレニアの半年間で様々に変化したが、その時は風が窓ガラスを叩く音節が、言語変換される方式になっていた。いかに風の強い時期とはいえ、その通信量が多すぎて、私はそれが幻覚をはらんだものと推量するようになっていた。
 音節変換というのは、モールス信号に似ていて非なる現象で、トントンという風の音が直に意味として感受される。
 「××ヲ、コロス」
 と風の声は言った。××は、当時私が好きだった女性歌手の名前だ。
 それが風が吹くごとに飽くことなく繰り返された。さすがに、他人を殺すという脅迫には同意しかねたが、延々続くので根負けした。
 (やるならやれよ)
 こんな力を持った者なら、実際やるかもしれないが、私には止めようもない。
 すると次には、
 「オマエヲ、コロス」
 になった。
 (やるならやれ)
 この回答については、もはや悩むこともなかった。
 雨戸を打つその声は、一晩中続いた。

 それが直接のきっかけとなって、私は旅に出ることにした。今になって、あの事象を考えるなら、「ここに、いるな」というセルフの指令だったかもしれない。
 春の嵐かなんだかしらないが、幻覚もまた嵐のように、テレビ、ラジオの放送が私向けのものになっており、全体そんな状況に耐えられなかった。コトバの通じない場所に行きたい。
 私は欧州旅行を手配した。


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【若衆宿】
特に太平洋側の黒潮海流地域に多く分布するという研究がある。
少年たちが親元から離れ、ひとつ所に寝起きし、社会性を身につける場としてあった。

【精神の構造図】

私がユング心理学を基礎として略図をかくなら、以下のようになる。(ただし私はユング心理学をアレンジしており、正確にはその亜流である。)

まずは映画「トップガン」に出てくるような戦闘機を精神全体としてイメージする。

コクピットのメインの操縦席に座り、操縦桿を握るのはもちろん自我意識(エゴ)である。主人格だが、これを自分のすべてと思ってしまうと、しばしば悲劇の原因となる。
後部席に座るのはレーダーマン。副人格で、ナビゲーターの役割をする。ただしこれは実質的には無意識なので、自我意識に近い位置にいるキャラクターである。ユングの造語でいえば、アーキタイプ(元型)だ。一般的には非接続だが、夢分析や経験の傾向から、その性質を分類できる程度には把握できるとされる。特別な場合には自我意識と接触を持ち、たとえばチャネラーのように言語的コミュニケーションも可能。

戦闘機自体は無意識(含む「メルロポンティ≪習慣≫」)により自動操縦される。ユングのいうセルフ(精神全体の統括者)は、戦闘機中央部にいることになる。そして、人が生きてきた航跡を勘案し、シャドウがねじれてしまっている場合には、そのねじれをエネルギー源として、その是正をおこなう。
本文中に書いたスキゾフレニアがいい例で、人が狂人になろうが、そのあげくに廃人になったり自殺したりするとしても、構わずに溜まったエネルギーの分だけ稼働する。
恐怖の審判者であり、地獄にあっては閻魔様もかくやという役目をする。

話しがそれたが、ここで強調したいのはセルフの働きであり、本文中に書いたようにそれは、一方で人を地獄に陥れながら、他方では救助者(アニマ)を配備する。パラドキシカルな作為を同時にやってのけることがある。
まるでアーキタイプが共鳴しあいながら、目的に向かって飛ぶ飛行機のようだ。


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