アニマが書いた世界で最も美しい詩
これはイリュミナシオンに収録されたランボオの「断章」の前半部分です。
ユングを知っているひとなら、一目でアニマを感じ取れるでしょう。
よく知らない方に申しあげれば、本来は無意識であるアニマに回路を開き交信できる者がいて、ランボオもその一人でした。
ランボオの詩編をそうした視点で読んでいくとき、幼少の頃から腹のムシと交信するようになり、それをアニマとして育てていったものと推察できます。
いわゆるチャネラーといえますが、巷間有名な、名を名乗り指導的な文言を述べる個性的なタイプではなく、もっとありふれたタイプです。

この詩の語り手である主語の「私」はどう見てもアニマです。ですから、ここまではアニマが書いたと言っていいと考えます。「私はあなたを見つけるだろう」の出会いから始まって、次の「前代未聞の豪奢を身につけた老人」という箇所がとても興味深い。ここでは、ユングのいうアニマの次の段階である「老賢者」がありありとイメージされています。

その次には、アニマがランボオを取り殺す条件が述べられています。「断章」と題された詩ですから、半ば自動筆記のように書き始められたものかもしれません。これには続きがあって、自我に戻ったランボオの応答と取れる内容となっています。以下に載せます。

 着飾るがいい。踊って、笑うがいい。ーーー私には決して、「愛」を窓から放り出すことなんかできないだろう。

この一文になると、もはや語り手の「私」は女性格(アニマ)から反転しランボオの自我になっているように見えます。一体、このセリフを誰に向かって言っているのでしょうか。断章はさらに続きます。

ーーー我が仲間にして、乞食女、そして手に負えない悪ガキよ! おまえにはどうでもいいのだ。あの不幸な連中や種々のかけひき、そして私の困惑などは。聞くに耐えないその声で、私らにまとわりつくがいい。この卑しい絶望におべっかを使うのは、ただおまえの声ばかりだ!

残念ながら、ランボオはアニマの両義性もしくは二面性を承知していませんでした。それは美しい天使のようでありながら、トリック・スターのようにふざけ半分で破滅さえもたらすのです。もっとも、そうした考えは20世紀になってからユングが創始したものなので、むべなるかなといえます。