|
「画集 浅井朝倉攻め」
2020年七月、安土城を起点に、まるで織田信長が浅井朝倉攻めしたのと同じルートで、ツーリングしました。走行距離が二日で600キロ以上という多少の強行軍でしたが、そんなこと戦国時代に較べれば、強行というも恥ずかしいことです。昔は徒歩ですからね。 ![]() これが安土城の仁王門です。中には文化財となっている仁王が立っていますが、あまり迫力は感じませんでした。 ![]() むしろ上側から見下ろしたほうが佇まいを感じます。 安土城は焼失したとされていましたが、実際には本丸が火災にあっただけのようです。昔は明智光秀が腹いせにやったという説を聞きましたが、それも今では土民が泥棒に入って面白半分で放火したという推測がされています。 ですから、この門は当時のものだということでしょう。 都市が聖と俗の空間に分かれるという例はありますが、この城の場合意図的にそれを造っています。仁王門は、俗界からの入り口であり、催事にも使ったとされるソウ見寺の前からも来ることができます。 下は三重の塔です。丁度天主から見下ろせる距離にあります。 天守じゃなくて天主らしいんですよ。もはやこれは戦時の砦ではなく、政庁だという位置づけなんでしょうね。 ![]() ![]() ここが天主の跡です。思っていたより狭いかなと感じました。 ![]() 上が天主から琵琶湖を見たらこんなかなという絵です。もっとも天主は40メートル近い高さがあったということなので、琵琶湖が一望できたと思われます。 にしても、天主が落雷により倒潰するなど、信長さまの命運は、安土城建立あたりから逆向きになったようです。そのあたりで代を譲っておけば安泰だったでしょうが、当時の武将は死ぬまで戦いました。それで悔いもないかもしれません。 ![]() 上は山の麓あたりに再建されたソウ見寺です。 https://www.azuchi-nobunaga.com/ 上が公式のサイトです。 下は、シラヤマヒメ神社本殿です。旅の目的地はここで、安土城は思いつきで通りました。 ![]() ちなみに、神社に写っているのは茅の輪と呼ばれるもので、それをくぐることで息災を願います。結局、マンコの意匠だと思います。産道をくぐれ、とね。それに再生の意味があるのでしょう。 ![]() 白山神社表参道半ばにある琵琶滝です。 ![]() ![]() 白山ヒメのお守りです。手前にあるのが松ぼっくりのような木の実で、丁度ぼくのイチモツくらいの大きさです。表参道入り口の、道のど真ん中に落ちていました。ヒメ神さまからのプレゼントやな、と思いありがたく頂戴してまいりました。良縁がありますように。拝。 |